タイトル:『やめてください。今は東方緋想天で持ちキャラをより強くすることで忙しいのです』
寄稿:雪野新月さん
僕が東方緋想天という同人ゲームにはまりまくっているとき、かの人が僕のブログに管理者あてのコメントを残していた。そこには僕に嫌なことを思い出させる内容のコメントが書いてあった。
『夏祭りでゲリララジオをやったことについて原稿を書け。書かねばおまえの過去をすべて明かす。私はおまえのすべてを知っている』
誰からのものだかはわかっていた。
mayaだ。
ライトノベル作法研究所においてすこしずつ仲間を増やし、いまではちょい古参勢のほとんどを裏から操るほどの力を持った人物だ。その正体はムスカとも少佐とも呼ばれ、「諸君、私は幼女が好きだ」から始まる演説はあまりにも有名であり、ここでわざわざ書いたのはごく少数の新規勢のために、かの人物の恐ろしさの一端をお見せしたまでのことだ。
そんなかの人物のことであるからはったりなどではないだろう。
だが、夏祭りゲリララジオ、とはな。
嫌な思い出だった。あれのせいで千葉浦安のミッキーの如き僕がイケメンボイスだのと罵られるはめになった。若いというのは恐ろしいことだ。当時の僕は二度目の大学受験を控えた受験生だった。そんな僕があれに手を出したのは、ひとつには勉強があまりに辛かったこと、そして勉強があまりにもたるかったこと、さらに勉強があまりにもつまらなかったことなどが原因として挙げられるが、結局のところ単純にやりたかっただけだった。
あの頃のことを何度も思い出そうとするが、まったく、なにを考えていたのか知れない。莫迦としかいいようがないことだ。あんなことをするくらいならば小説を書けばよかったのだ。当時の僕の精神状態がどうしてそんなものに手を出すように変質してしまったのか――
――いや、なんだ、これは? 僕は何を忘れている――
そして思い出す。
そうだ、電撃に送りつけたゴミクズが焼却炉に捨てられたのが原因なのだった。
当然のことが当然のように行われただけでも、僕の心は傷ついたのだ。それで現実逃避をするような気持ちになった。当時の僕にはライトノベル作法研究所を盛り上げてやろうとか、夏祭りをみんなで楽しもうぜとかいう気持ちがあったのかもしれないが、いまの僕に言わせてもらえば、あれは単なるストレス解消の児戯にすぎなかっただろう。
あれ以降ラジオに手を出さなかったのは、僕がわずかでもそのことを自覚していたからだろうし、単純に勉強が忙しかったりしたのも要因といえなくもなく、最終的には飽きただけともいうのだが、ライトノベル作法研究所という場所から離れたいという気持ちもあったと思う。
どうして離れたいと思うようになったかといえば、恥ずかしい話だがあそこにいる人々の輝かしさに自分の惨めさを思い知ったからなのだ。まったく僕はなにをやっているのだろうという気持ちになった。自分がクズであることを思い知ったとき、人間にはそれを克服するための努力をするか、ダッシュで逃げるかの選択肢が常に与えられて、僕は最速で後者を選ぶような人間だったのだ。
いまでもそれは変わっていない。
事実と相対したくないから。仕方がなく原稿を書く。
しかし、こんなくだらない事実を書き並べて、かの人物は本当に満足するのだろうか。「当時のおまえの真実の気持ちをありのままに書けばよい。ただしその内容が誤っている場合は私がじきじきに修正しておく」などと言い出しかねない人物である。もしかすると、僕が原稿を書いたという事実だけが重要であり、内容はすでにできあがっているのかもしれない。「実はラジオの録音をしているときはふんどし一丁でした」とか「ロリコン音頭というのを考えたのですが国家が転覆するのでやめておきました。てへっ」などという、僕ならば絶対に書かないような卑猥で俗悪なことも平気で書くような人物である。なにをされてもおかしくはない。
そもそも以前の祭りでもライトノベル作法研究所の利用者の名前をふんだんに盛り込んだ意味のわからないものを仕上げて提出し、ニヤニヤしていたような人物である。まったく反省の色がないところを見ても、間違いのない悪人である。これがリアルムスカたるゆえんである。ちょっといい小説を書いてくるからといって油断してはならないのだ。
暑い。
こんなにも部屋が暑いのはなぜだろう。
手も震えている。
蒸し暑いにも関わらず寒気がする。
僕がこのような原稿を書いてくることも、あの人物ならばすでに予見していることだろう。
――そのような予想を立てている間に、メールが届いてきた。
なぜ、僕のメールアドレスを知っているのだ。
mayaだ。
またmayaだ。メールの内容は「遊弟の行方を吐いてもらおうか。隠し立てするならばおまえの過去の原稿をありのままばらまく」というものだった。僕は遊弟殿が生存していることは知っていたが連絡先は知らなかった。その旨を伝えた。「あまり私を怒らせない方がいい。素直に吐くんだ」そのように返ってきた。本当に知らないのだ。遊弟殿は謎の多い人物だが、mayaに対抗しうるアイアンジャイアントの一人だった。彼は僕の希望の星であり、東方緋想天でのライバルだった。それはともかく、本当に知らないものは知らないのだ。電話番号もメールアドレスも聞いてなかった。それを正直に告げると、ようやくmayaは諦めた。「おまえが役立たずということは知っていたよ」去り際にも悪役の香りが漂う人物である。つくづく悪いことをして生きてきたのだなと思わせられる。
しかし日々ふんどしと叫ぶような苛烈な人生を送ってきたのだと思えば、わずかに哀れと思うこともある。だからギャグを書いているときよりもシリアスものを書いているときの方が若干いきいきとしているのだろう。ギャグは抑制が効いているが、シリアスはやや感傷的にすぎるきらいがある。
僕のゴミクズ同然の小説評は置いておくとして、そろそろまじめに書くことにしよう。
僕はほとんどノリでラジオを録音して公開したのであって、それ以外に特段の意味はなかった。前段にも書いたように、ライトノベル作法研究所のためになにかをしようなどとはこれっぽちも思っていなかった。だいたい、僕程度の人間がなにかをできるはずもない。そこまでうぬぼれてはいない。僕は名前だけは知れているが、それと同じくらい小説が下手なことも知れていたから、名前だけで点数が取れるほどのはったりも持っていないわけだし、そういったはったりを利かせられるような小技の持ち合わせもない。そういうわけだから、ラジオをやったのはお遊びと解釈していただいてかまわないし、それ以外の考え方をされても困るわけだ。
で、mayaさんについてだが、別にそんなに悪い人ではない。ふんどしの似合いそうなダディではあるが、美少女に後頭部を瓶で殴られたことはなさそうである。あんまり悪くいってはいけない。だがふんどしだけは間違いないと思う。身から出た錆なので反省して欲しい。あと、らけんくえすとふぁんたじーは正直なかった。mayaさんほどの人があんなん書いちゃダメですよ。ああいうのはネタキャラの彼方ちゃんあたりが書いて失笑されてりゃいいのよ。
人いじりはここまでにしておこう。
とりあえず今年も夏祭りの季節がやってきた。なぜか僕は五作提出することになっているらしい。下限がたったの二十五枚で、上限もたかだか五十枚なので、無理なことではない。もちろん僕の小説のことだから、中身はほとんど決まっているだろう。観念的なのがひとつ、意味不明のギャグがひとつ、硫酸廃棄物がふたつ、傑作を書こうとして失敗した小説以外のなにかがひとつ。とまあそのあたりになることだろう。総投稿数増加のための水としての価値以外はない。
夏祭りゲリララジ2nd -雪野新月の毒舌公式-
などもやろうと思ったが、やめた。そんなことを僕のようなたまにしか来ないような人間がやるものではない。やる気のみなぎっている人間がやるべきだ。毎月四作は投稿していて、平均点などもはや眼中にないほどに点数を取ることに慣れていて、人格のしっかりしている人間がやれば、それなりの盛り上がりを見せることだろう。それ以外の人間がやってもたいしたことにはなるまい。それは前回の夏祭りゲリララジオが証明している。誰だっけ? 雪野なんとかさんとかいう人がやってましたが、あんなのはゴミクズ同然ですね。
ええ、僕のことなわけですが。
つまりそれくらいもうやりたくないってことでもあります。あんなの百害あって一利なしとしかいいようがない。皮肉を言われるのはもうたくさんです。
そんなわけでネガティブなことしかいってないわけですが、僕がいくらわめこうと参加者のみなさんが傑作をものにできる可能性が下がるわけではありません。功名心とか、そういうのもいいですが、どうでもいいことは考えず、いい作品を作ることに注力していただきたいなと思います。そうでなければ参加する意義がありません。すくなくとも僕は狙い済ましただけの紙くずは読みたくありませんし、みなさんもそんなものは書きたくないはずです。たまになにかを勘違いして創作ではなく模倣大会を開催してる人がいますが、あまり成功作をなぞろうとは思わず、自分なりに思い描く理想を追い求めてほしいものです。
それが、すくなくとも僕のようなつまらないものを書かないようにするために必要なことだと思えますので。
なんかラジオのことを書けと言われたのにぜんぜん違うこと書いてますね。仕方がありません。それは僕が東方緋想天で持ちキャラをより強くすることで忙しいのと、東方非想天則の発売が待ち遠しいのと、ぬいぐるみの予約することに成功したことと、神林長平先生のサイン会に参加できるということで頭がいっぱいだからでしょう。そのせいでこのどうでもいい原稿はやっつけられるだけで終わることになったのです。
でもいい小説が読みたいという気持ちに偽りはありませんので、みんながんばろうね、という話です。僕もがんばってみます。
それでは僕はみんなのために祈ることにします。よい夏祭りがあらんことを。